大浜の里にむかしをとどめてし間人村(はしうどむら)と世々につたえん
―間人皇后
霜月十四日
由美ママは、
【京しずく】http://www.kyoushizuku.com/
店主・岡田敬一氏とのご縁で、
恵比寿の路地に佇む
京料理【京しずく】を再訪しました
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*うすものを昼の間は着るごとし女めきたる初秋の雨く!恵比寿の隠れ家京料理【京しずく】岡田敬一ご主人https://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-12310957476.html (2017年9月16日号)
【京しずく】店主 岡田敬一氏&優香さん&伊藤由美ママhttp://yumi-ito.com/
カウンター席
この夜は
蟹好きの由美ママのため、
京都北部の丹後半島“間人港(たいざこう)”より幻の“間人蟹が登場
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*まぼろしの間人ガニ喰う師走哉!古の歴史に彩られた丹後半島最北端間人港より直送!間人蟹【赤坂松川】 https://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-11717438093.html (2013年12月3日号)
幻の“間人蟹”
由美ママは
以前
この蟹を味わいたく
京都府の最北端まで旅した想い出がありますが、
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*“丹後七姫伝説”の地・・丹後半島【間人(たいざ)港】にて新鮮な“幻の松葉かに”と出合えたひととき (2011年1月9日号)
“間人かに”が
幻と呼ばれる所以は、
大型船でを4・5日間
沖泊りをすることも多いカニ漁の中で、
小型船で日帰り操業するカニ漁に徹し、
鮮度を優先するためで、
それ故、
間人漁港で水揚げされた
“松葉ガニ(雄)”は、
“幻の松葉蟹”と呼ばれ、
鋏には必ずプラスチック製の
“タグ(緑色)”が付けられています
また
“タグ”には文字で漁港名(間人漁港)、漁船名等も記載され、
ちなみに緑色の“タグ”は“京都府産”を表し、兵庫県の“タグ”は青色、「越前かに」は“黄色”です。
http://www.meitenkan.com/spots/tangochou/taizakou/
ところで
何故、「間人」と書いて
“たいざ”と読ませるのかをご存知ですか
「間人」は、
丹後半島の経ヶ岬の東、
丹後町に位置しますが、
この地名の発祥は遥か六世紀末まで遡り、
かつて蘇我、物部氏間の戦乱を逃れてこの地を訪れた聖徳太子の母で、
用明天王皇后の“穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后”の名に由来します。
当時は
「大浜の里」と呼ばれていた「間人」ですが、
やがて争いが治まった後、
皇后は大和の斑鳩へと帰ることとなり、
その出立の際に冒頭の句を詠み、
この「大浜の里」に自分の名を取って“はしうど村”と名付け、
「間人」という地名を残されました
その後、
「大浜の里」の人々は、
皇后の名前を口にするのは恐れ多いとして、
“退座”されたことにちなみ、
“たいざ”と呼ぶようになったと云われています。
香箱こと“こっぺ”と蟹足のジュレ
上記
“香箱”は、昨冬以来ですが、
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*かくしつつ今年もくれぬと思ふよりまづ歎かるる冬は来にけり【赤坂津やま】兵庫香住産香箱蟹&臼杵ふぐhttps://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-12217789246.html (2016年11月12日号)
“香箱”の以前のレビューは、以下のブログからご覧ください
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*盛りあがる外子の中に勢子内子【銀座小十】兵庫県香住産セコガニこと香箱蟹&大間鮪&宮崎牛ヒレの夕餉 (2015年12月11日号)
*ただ想う哀しきまでの酒の味!小泉元総理の台所!赤坂の路地に佇む一軒家割烹【赤坂津やま】純子女将と (2013年12月7日号)
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北海道イクラと大分の真鯛のお粥
鱈の白子“雲子”と茸のお椀
大分の関のカワハギ&鮟肝&北海道の白雲丹
金沢の百万石シイタケ
愛知の新銀杏と兵庫県南あわじ牛の杉板焼き
この後
幻の“間人蟹”のしゃぶしゃぶが登場
〆のご飯は
幻の間人蟹の炊き込みご飯
デザート
この夜
由美ママらは
古の歴史に彩られた
幻の“間人ガニ”を雄雌とともに
【京しずく】にて
たっぷりと味わいました
そして
「京都よりも京都らしく…」
との思いが籠った
岡田氏流“京料理”の一品一品を堪能したひとときでした
【京料理 京しずく】
目黒区三田1-12-25
03-5721-8139
店主 岡田敬一