コースからスコアだけ持ち帰るものに友人は出来ない。
誠実な人に対してゴルフは多くの友情をお土産にくれる
―赤星四郎
Birthday weekの週末
由美ママは
「体育の日」の三連休に続けて
【熱海倶楽部迎賓館】http://www.atamigolf.jp/hotel/
に出かけましたが、
↓↓↓
*吹く風に浪のうき霧ややはれて錦が浦ぞ月になりゆく!贅沢な天然温泉大人の隠れ家【熱海倶楽部迎賓館】 (2015年10月18日号)
今回の熱海では、
赤星四郎設計で
昭和14年開場の歴史を誇る名門コース
【熱海ゴルフ倶楽部】http://www.atamigolf.jp/
でのラウンドを愉しみました
【熱海ゴルフ倶楽部】No.7 伊藤由美ママwww.yumi-ito.com
この
赤星四郎とは、
1895年(明治28年)東京生まれ(1971年没)。
鹿児島薩摩藩旧郷士出身の実業家・赤星弥之助の四男として生まれ、
アメリカペンシルバニア州立大に留学。
アメリカンフットボールの選手として活躍する一方でゴルフの基礎を築く。
帰国後、
ゴルフに打ち込み、
1926年『程ヶ谷CC』で開催された
日本アマチュア選手権で優勝。
翌年1927年の第1回日本オープンに出場し4位に入る。
このときの優勝者は、実弟の赤星六郎。
1928年(昭和3年)の日本アマでは
2年ぶり2度目の優勝を飾るなど、
当時
ゴルフの腕前は日本トップの実力だったとのこと。
ちなみに
コース設計は、
1927年の『函館ゴルフ倶楽部』が最初とされ、
その後
1929年に代表作となった『霞ヶ関CC』東コースを設計。
↓↓↓
*濃紅葉に日のかくれゐる美しさ【霞ヶ関カンツリー倶楽部】東コース!赤星四郎とアリソンバンカーの罠! (2012年11月29日号)
以後、
戦中戦後を通じて38ものゴルフ場を設計され、
“名コース設計家”として
日本ゴルフ界の黎明期を支えてきました。
そんな
赤星四郎氏による
【熱海ゴルフ倶楽部】は
1935年、
熱海に別荘を持つ『東京GC』会員や市民の間から提案され
戦時下に作られた最後のコースですが、
当時は
ツルハシとモッコによる手作業で造成。
地形を生かしたこの名コースは
人間の手作業と大自然とが生み出した芸術品とも云え、
戦中、戦後の有為転変を乗り越えてきた
歴史あるコースのひとつに名を連ねます
http://www.atamigolf.jp/golf/layout.htm
【熱海ゴルフ倶楽部】No.1 初島に向かって打ち下ろしのショート
↓↓↓
No.2
No.3 熱海の海を見下ろすショート
No.4 池越えのミドル
No.5
No.6
↓↓↓
No.7
そして
いよいよ最終No.9
0557-82-5335