啓蟄のこぼせしものを石畳
―鷹羽狩行
如月二十二日は、
「由美ママ仲良しシスターズ」中村有里さん&田原敦子さんらに、
神楽坂【和可菜(Wakana) はなれ】にて、由美ママの退院を祝っていただきました!
『(株)テレビ朝日』「徹子の部屋」田原敦子プロデューサー&『One Heart』中村有里社長&伊藤由美ママhttps://yumi-ito.com/
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由美ママのイヤリング&ジャケット&ブラウスは、『ETRO エトロ』
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【和可菜 はなれ】は、
創業昭和29年(1954)の“文人・映画人の宿”として名高い
【旅館 和可菜】の新オーナー村上豊彦氏と、
世界的建築家 隈研吾氏とのコラボレーションから生まれた「食の迎賓館」がここ“はなれ”です。
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この日は16時半から“はなれ”へ集合!
“蟹ママ”と称される(笑)由美ママのために、
【ぎおん阪川(さかがわ)】店主 坂川浩和氏自ら
【間人(たいざ)港】で穫れたての協進丸「活たいざガニ」を運んでくださいました!
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この“間人かに”が幻と呼ばれる所以は、
大型船でを4・5日間沖泊りをすることも多いカニ漁の中で、
【間人港】では、小型船で日帰り操業するカニ漁に徹し鮮度を優先するためで、
それ故、ここで水揚げされた“松葉ガニ(雄)”は、“幻の松葉蟹”と呼ばれ、
鋏には必ずプラスチック製の“タグ(緑色)”が付けられます!
また“タグ”には文字で漁港名(間人漁港)、漁船名等も記載され、
ちなみに緑色の“タグ”は“京都府産”を表します!
由美ママは、10年前にこの地を訪れました!
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*“丹後七姫伝説”の地・・丹後半島【間人(たいざ)港】にて新鮮な“幻の松葉かに”と出合えたひととき (2011年1月9日号)
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ところで何故、
「間人」と書いて“たいざ”と読ませるのかをご存知ですか?
「間人」は、丹後半島の経ヶ岬の東、丹後町に位置しますが、
この地名の発祥は遥か六世紀末まで遡り、
かつて蘇我、物部氏間の戦乱を逃れてこの地を訪れた聖徳太子の母で、
用明天王皇后の“穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后”の名に由来します。
当時は「大浜の里」と呼ばれていた「間人」ですが、
やがて争いが治まった後、
皇后は大和の斑鳩へと帰られることになり、
出立の際に以下和歌を詠まれ、
この「大浜の里」に自分の名を取って“はしうど村”と名付け、「間人」という地名を残されました!
―大浜の里にむかしをとどめてし間人村(はしうどむら)と世々につたえん
その後、
「大浜の里」の人々は、皇后の名前を口にするのは恐れ多いとして、
“退座”されたことにちなみ、“たいざ”と呼ぶようになったと云われています。
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この日は、
そんな“幻の間人ガニ”を刺身&焼きでいただいたうえ、
根室のウニ、特大活アワビ、近江牛ヒレ、幻の白子筍などを炭火焼きで。
さらに、丹波篠山の松茸ご飯など、贅を尽くした“由美ママ大好物シリーズ”で
おもてなしていただきました!
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シャンパン&ワインは、アンリ・ジローを象徴するキュヴェ“アルゴンヌ”
『アンリジロー アルゴンヌ BRUT 2011(Henri Giraud Argonne)』&
『モンラッシェ マルキ ド ラギッシュ2009 (MONTRACHET MARQUIS DE LAGUICHE2009 MAISON JOSEPH)』。
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日本酒は、『和可菜(竹泉・田治米合名会社)』!
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【和可菜】オリジナルお茶三種!
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村上オーナー大変素晴らしい“日本の最上級の旬の食材とお酒による「食の迎賓館」【和可菜 はなれ】にお招きいただきありがとうございました!
お陰さまで、隈研吾氏と阪川浩和氏の「食の舞台」を堪能させていただきました!
ご馳走さまでした!
さらに、
その後の【由美PLATINUM LOUNGE】では、
『Dom Perignon rose ドンペリ ドンペリニヨン ロゼ 1988』!
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