うぐいすをたづねたづねて阿佐布まで
―松尾芭蕉
2022年元旦の昼間
由美ママは
【麻布氷川神社】に“初詣”へ!
https://www.azabuhikawa.or.jp/
伊藤由美ママ&母!
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【麻布氷川神社】は、
天慶元年(938年)、“清和源氏の祖”源経基が「天慶の乱」(平将門の乱)平定のため東征した折、
武蔵国豊島郡谷盛庄浅布冠の松(現 麻布一本松)の地に創建されたと伝えられる由緒ある神社です。
その後、文明年間(1469年~1487年)に、
江戸城を築城した武将 太田道灌が江戸の災守として、
「氷川社」を崇拝し勧請したという説も生まれました。
また、【麻布氷川社】は、
江戸徳川将軍の尊信も篤く、四方絶景で遠く富士山も眺望できた社ゆえに、
鷹狩りや遠出した将軍もしばしばご参拝され、
二代将軍 秀忠の正室であったお江の方 (父 浅井長政、母 お市の方) が安産祈願をし、
誕生した三代将軍 家光誕生の守護神となりました。
さらに、
お能を愛好した五代将軍 綱吉も度々【麻布氷川社】を参詣。
綱吉の生母 桂昌院も崇敬篤く必ず奉幣しご祈願されたとのことです。
https://www.azabuhikawa.or.jp/
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江戸時代中期に記された「望海毎談」には、
『氷川明神、江戸の中に七所有、赤坂御門外の社、江戸にては年久し・・・ (略) ・・・麻布一本松の市中の社・・・』とあり、
“江戸氷川七社の一”に数えられました。
江戸の“氷川社信仰”が篤かったことの裏付けとも言えましょう。
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当時は、神社の東南方向崖から絶景が一望出来、眼下一面竹林で鶯の名所でした。
江戸中期の松尾芭蕉 (文政書上) が「鶯をたづね たづねて 阿佐布まで」と、詠まれております。
また、この時代は江戸の二大災害を免れるために諸大名は好んで麻布に屋敷を設けました。
当時の絵図等には多くの大名屋敷が存在し、「江戸大絵図」 (文政8年 1825) には広大な大名屋敷と同様にご神木 一本松から境内地が“麻布一本松”神社とされています。
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以後、
明治初めの神仏分離の際、【氷川神社】は 有栖川宮の命によりて【京都伏見稲荷大社】の出、
江戸国学者の荷田春満の後裔に預け任ぜられました。
そして、明治4 (1872) 年、氷川大明神から【郷社 氷川神社】となりました。
現石碑の文字“郷社 氷川神社”は尾張徳川家第19代侯爵徳川義親氏筆で、
広域な氏子区域 (元麻布、南麻布、西麻布、麻布十番、六本木、青山、広尾の一部) には、多く諸外国の大使館もあり、国際色豊かな お屋敷まちの社として広く崇敬されています。
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ちなみに、1992年当時社会旋風をおこしたアニメ“美少女戦士 セーラームーン”の「火川神社」巫女 火野レイが住んでいる神社のモデルとなり、
一大社会現象となる“アニメと神社”とのコラボレーションの先駆けといえます。
アニメ“美少女戦士セーラームーン”の聖地として、今日では、国内のみならず外国から訪れるご参拝者も多いとのことでした!
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由美ママ&母は“初参詣”でしたが、
破魔矢を買い、
新年二日に誕生日を迎える母の健康長寿を願って
今年一年の 勝運・来福・仕事運・厄除開運をお祈りいたしました。
(ちょっと欲張りでしたが・・・苦笑)
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上記、
由美ママのハット&セーター&マント&ジーンズは『エトロ ETRO』
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