ついにゆく道とはかねてききしかど きのうけふとは思はざりしを
―業平朝臣
伝説のdofクリエイティブ・ディレクター 大島征夫氏逝く・・・
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文月十日の夕刻は
親しくさせていただいていた
dofクリエイティブ・ディレクター 大島征夫氏のお通夜に
【寛永寺輪王殿】へ!
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実は
ここでは
1月に亡き主人 熊倉貞武の『家族葬&友人葬』を執り行いました・・・
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また、
5月12日には
原英達氏ともここでお別れしました・・・
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大島氏は、1973年電通入社。
電通にてコピーライター、クリエイティブ・ディレクターとして活躍したのち、
2005年に齋藤太郎氏と共に「文化と価値の創造」を生業とするコミュニケーション・デザイン会社dofを設立。
今年で19年目を迎えた同社で、「角ハイボール」「トリスハイボール」や「山崎」「白州」「響」「知多」などサントリーウイスキーのブランディングの責任者として携わってきた。
電通在籍時はサントリー他、JR東日本「行くぜ!東北」「新青森キャンペーン」「Suica」、KDDIなどを担当。
84年にトヨタ自動車の「安全キャンペーン」でTCC賞クラブ賞、90年にフジテレビ春のキャンペーンでADC最高賞のほか、朝日広告賞、日経広告賞、ACC賞、毎日広告デザイン賞最高賞、クリエイター・オブ・ザ・イヤー賞など受賞。数多くの実績を残すとともに、多くのクリエイターを世に送り出してきた。
―「アドタイ」より引用
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由美ママは、
“鐵さん”こと元電通 中村鐵副社長のご紹介でお会いして以来
40年の長きにわたりお世話になりました・・・
鐵さんは
亡くなられる二ヶ月前の2009年12月
最後の【由美】も、
征夫さんと一緒にカラオケを歌われておりました・・・
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また、
主人が亡くなった後に、
「社葬は行けないけど熊倉さんの分も生きるよ・・・」
と、【由美】に飾られている遺影に手を合わせ焼香くださったばかりでしたのに、
主人同様、「80才の壁」を越えられずに逝ってしまわれましたね・・・
「七夕」に“お星様”になられてしまうなんて
征夫さんらしいとも思えますが、
本当に悲しくていまだ信じられずあの時の笑顔が忘れられません・・・
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きっと
「四十九日」後に天国へ行かれた後は、
鐵さんや主人と「ハイボール」で乾杯し、
【戸塚カントリー倶楽部】での“ゴルフ談義”に花を咲かせることでしょうね・・・
昨日は、
そんなシャイな表情で微笑むダンディな征夫さんの遺影に手を合わせ、
様々な想い出を走馬灯のように巡らせながら
感謝をこめてお別れして参りました・・・
今日、
十一日も『告別式』へ参列して参ります・・・
そして明日十二日は、主人の「半年目の月命日」です・・・
征夫さん
長い間
本当にお世話になりました・・・
傘寿のお祝いをご一緒できず残念でしたが、
「古希のお祝い会」のシーンのひとつひとつ決して忘れません・・・
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これからもずっと征夫さんとの大切な想い出を胸に生きて行こうと思います。
どうぞ安らかな旅立ちでありますようお祈り申し上げます。
ありがとうございました・・・
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戒名!
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葬儀委員長は斎藤太郎氏!
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