毎日新聞朝刊
「オピニオン」欄【論点】
『政治危機と内閣改造』に由美ママインタビュー登場
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8月4日(火)
由美ママが、
毎日新聞朝刊
「オピニオン」欄【論点】
『政治危機と内閣改造』に
インタビュー登場しました
↓↓↓
https://mainichi.jp/articles/20170804/ddm/004/070/003000c
2017年8月4日毎日新聞朝刊【論点】伊藤由美ママインタビュー記事
―――内閣改造で支持率続落に歯止めをかけたい安倍晋三首相。
だが、南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報問題を巡る稲田朋美元防衛相の「遅きに失した」辞任と、学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題で負った傷は深い。
一方、東京都都議選で敗北し、蓮舫代表が引責辞任した民進党も生き残りの正念場。
2人の政治家の引き際と、政治の危機管理を考える。―――
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由美ママは、
山崎拓元自民党副総裁と
弁護士・郷原信郎氏のお二人と共に登場し、
『真価問われる身の処し方』と語らせていただきました
是非、
ご覧いただきご意見、ご感想をいただけますようよろしくお願いいたします
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ちなみに
今回の取材は、
オピニオングループ隈元浩彦氏
↓↓↓
*銀座ママのがむしゃら人生!毎日新聞夕刊「人・摸・様」【クラブ由美】伊藤由美ママ『銀座の矜持』登場 (2013年5月13日号)
*美しい銀座のシンボル和光!10月15日毎日新聞夕刊『東京すみずみ歩き』の路地裏遊覧に由美ママ登場 (2011年10月24日号)
【銀座クラブ由美】http://yumi-ito.com/ 隈元浩彦氏&伊藤由美ママ
また、
これまでの
由美ママの“毎日新聞登場記事”は、以下のブログもご覧ください
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*「抜群の記憶力の秘密を本に」伊藤由美ママが毎日新聞夕刊12月26日号の『人模様』に再登場しました http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-12110806595.html (2015年12月27日号)
*銀座に感じる「粋」の美学!毎日新聞夕刊8月12日号『私だけの東京2020に語り継ぐ』由美ママ登場 (2015年8月13日号)
*カッコいい40代とは毎日新聞9月22日号夕刊特集ワイド「カッコいい40代になりたい」由美ママ登場 (2015年9月22日号)
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【真価問われる身の処し方】
―――
18歳で夜の銀座へ。23歳で独立しました。財界人、政治家をはじめのべ3万人以上のお客様と接してきました。
つくづく思うのは、起業などよりも、退く方がはるかに難しいということです。
出処進退とは「世に出れば天下に尽くし、ひとたび退く決意をしたならば黙して語らず」
という意味だと理解しています。
でも行うは難しです。
オーナー経営者の中には、自身の後継者がいるのに、80歳近くになってもポストを譲らない方もいます。
ご本人は「生涯現役」と平然とされていますが、企業という公器は経営者のヘルスケアの場ではないですよね。
やや違和感を覚えます。
もちろん「後継者を育てることが経営者の務め」と潔く去っていく方もいますが、少数派です。
そして、肝心なのは一線を引いた後の身の処し方です。
あれこれ口出しをするのは、それこそ「老害」と呼ばれても仕方がない。
なぜ、それなりの地位にある方の「引き際」が難しいのか。
ひと言でいえば、権力への肥大化した執着でしょうか。
権力を手放した瞬間に自分の居場所がなくなってしまう恐れかと思われます。
そうした拘泥は美しいものではありません。
防衛相の稲田朋美さんの辞め方は潔さに欠けていました。
東京都議選の応援演説での「自衛隊としてもお願いしたい」という発言をはじめとする言動が多くの人たち、自身をもり立ててくれた安倍晋三首相の足を引っ張ったことに気づかず、地位に恋々としてしまった。
離任式でも謝罪の言葉はなく、うすら笑いを浮かべてのあいさつは残念……。
民進党代表の蓮舫さんも唐突に辞意を表明しましたが、遅きに失しました。
辞めるのであれば「都議選惨敗の後、即座に」でしょう。2人とも女性活躍の時代を担う政治家として期待されていただけにがっかりです。女の株を落としましたね。
一方、今年に入ってフィギュアスケートの浅田真央さん、プロゴルフの宮里藍さんの2人が引退を表明しました。
アスリートとしてのプライドを保っていられる中での清らかな決断だったと思います。
「桐(きり)一葉」の心を知っていたのでしょう。
一葉落ちて天下の秋を知る--。
天命を自覚しての振る舞いは美しい。
私も店が35年目を迎えたいま、心のどこかで常に自分の引き際を考えています。
私の母方の祖先は、薩摩藩(鹿児島県)の蘭学者で志士の中原猶介(なおすけ)です。
西郷隆盛のもとで戊辰戦争に出征しましたが、越後長岡城(新潟県)攻めで、銃撃で右ひざを射抜かれました。
治療すれば助かったのにそれを拒み亡くなりました。36歳でした。
足を引きずってまで、という気概があったのでしょう。
天命を知る最期だったと思います。
長岡藩を指揮したのは家老の河井継之助。
彼もまた、「天下の秋」を知り非業の死を遂げたのです。継之助はこんな言葉を残しているそうです。
「進むときは人まかせ、退くときは自ら決せよ」
安倍首相の新内閣が発足しました。勢いがあるときはいいでしょう。
でもそれが失われたとき、どう処するのか。そこに人間としての真価が問われると思います。
【聞き手・隈元浩彦】https://mainichi.jp/articles/20170804/ddm/004/070/003000c
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尚、
薩摩藩士“中原猶介”については、以下をご覧いただけましたら幸いです
↓↓↓
*通天へ来て皎月を見とれけり!東福寺 臥雲山【即宗院】住職杉井玄慎氏を訪ねて我が祖先薩摩藩士を偲ぶ https://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-12216191057.html (2016年11月5日号)
*朝日新聞夕刊【都ものがたり】伊藤由美と即宗院 銀座で生き、感じる「薩摩の気骨」9月29日号掲載!http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-12204958980.html (2016年9月30日号)
*『銀座のママが訪れたかった即宗院―倒幕の薩摩藩士の碑に祖先の名』【都ものがたり】関西版記事紹介! http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-12205293645.html (2016年10月1日号)
*もみじ且つ散る静かさよ・・「東福寺」の塔頭『即宗院』境内に我が祖先薩摩藩士『中原猶介』石碑を拝む (2009年12月9日号)
*よしや身は越路の雪に埋むとも くる清水に名をやながさむ・・・「甲南高校」薩摩藩士『中原猶介』の碑 (2009年7月26日号)
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毎日新聞朝刊【論点】 伊藤由美ママ(猪飼健史撮影)